誘惑を断ち切った道の駅「ひたちおおた」と、激しい後悔に身悶えした道の駅「日立おさかなセンター」電撃紀行

常陸大宮 ➔ ひたちおおた
道の駅・常陸大宮のあと、計画では道の駅・さとみへ向かう予定を立てていた。しかし、時計を見ると14時30分を回ろうとしていた。
道の駅「常陸大宮」の喧騒を離れ、俺はコックピットで一瞬、思考を巡らせる。
当初の計画では、ここから道の駅「さとみ」へと針路を取る予定だった。しかし、この時間からでは翌日の行程を含めて、時間とのタイトな戦いになることが予想された。俺はすぐさまスマートフォンを開き、ナビタイム自動車で網の目のように巡るルートを再計算する。
弾き出された最適解は、翌日に予定していた「ひたちおおた」「日立おさかなセンター」を今日のうちに急襲し、最終目的地である「奥久慈だいご」まで営業時間滑り込みで一気に回るという、大胆な計画変更だった。一人旅の自由さは、こうした気まぐれな航路変更のなかにこそある。俺はステアリングを切り、まずは道の駅「ひたちおおた」を目指すことにした。
これまで愛車を包み込んでいた険しい山間部の緑は、いつしか影を潜め、フロントガラスの向こうにはなだらかな平野が広がり始めていた。どこまでも続く、長閑な田園風景。張り詰めていた空気が、景色が広がるのと同時に、少しずつ緩んでいくのを感じる。
このセクターで、最も俺の心を激しく、そして静かに揺さぶる瞬間が訪れたのは、久慈川を渡る大きな橋梁の上だった。
高い橋の上から視線を落とすと、きらめく川面のすぐそば、河原に何台かの車が点在していた。目を凝らせば、何家族かの影が、水際で思い思いに時間を過ごしている。彼らの笑い声や歓声は、窓を閉め切った車内には1ミリも届かない。ただ、音のない映画のワンシーンのように、そこにある確かな「幸福の風景」だけが、俺の網膜を、そして孤独な旅人の心の奥底を、優しくノックしていった。
久慈川の記憶
高い橋梁の上から見下ろすその河川敷は、どうやら今でも車で直接乗り入れることができるようだった。
昨今、事故防止や治安維持の名目のもと、全国の河川敷から「自由」が奪われ、立ち入り禁止の柵が張り巡らされている。ようは、使う人間の意識の問題なのだ。節度を持ってその場所を愛し、楽しめばいいものを、それができない一部の者たちの身勝手な振る舞いのせいで、多くの人間のささやかな娯楽が奪われていく。その現代の窮屈さに、一人の大人として静かな憤りを覚えずにはいられない。
だからこそ、この眼下に広がる久慈川の河川敷は、奇跡のように優しく、楽しさと幸福のエネルギーに満ちあふれて見えた。
きらめく水際で遊ぶ家族たちの姿を眺めているうちに、俺の脳裏に、少し前の記憶が静かに蘇ってきた。
10年ほど前だろうか。まだ一人娘が小学生だった頃、俺たち家族3人は、よくこうして車を走らせて出かけたものだった。あの時の空気、娘の小さな手、他愛のない会話のすべてが、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。
親という生き物は、我が子の小さな足跡を、いつまでも、そして驚くほど細部まで覚えているものだ。
後に、娘と「あの時、こうだったよね」と懐かしむように話してみても、娘は決まって「そんなことあったっけ?」と素っ気なく笑う。記憶の温度差に少し寂しさを覚えながらも、ふと、自分もまた、かつて母親から同じように昔の思い出を語られたとき、娘と全く同じセリフを返した記憶が鮮やかに呼び覚まされる。
親の心、子知らず。だが、それでいいのだと、ハンドルを握る手に少しだけ力を込める。
いつか娘が誰かと所帯を持ち、自らが親という立場になって、同じように我が子を見つめる経験をすれば、その時に初めて分かる。それでいい。愛とは、そうして時を越えて、静かに受け継がれていくものなのだろう。
遠ざかる久慈川のせせらぎをバックミラーに映しながら、愛車は長閑な平野を抜け、次なる目的地「ひたちおおた」へと突き進んでいく。
道の駅・ひたちおおた電撃戦
久慈川のノスタルジーを駆け抜け、およそ30分。愛車は目的地の道の駅「ひたちおおた」へと滑り込んだ。

フロントガラスの向こうに広がっていたのは、圧倒的な「虚」と「実」のコントラストだった。周りには本当に何もない。視界を遮るもののない果てしなき田畑、そして隣に静まり返る資材置き場のようなスペース。その荒涼とも言える長閑さの中に、ぽつーんと、しかし堂々とした佇まいでその道の駅は存在していた。


車を降りて周囲を索敵する。敷地は驚くほど広大で、夜になれば極上の車中泊スポットになるであろうポテンシャルを秘めている。新しく清潔なトイレや施設が、旅人の疲労を静かに癒やしてくれる。

ここは「食」に対して並々ならぬ火力を注ぎ込んでいる拠点のようだった。
地元農家から直送された旬の野菜を彩りよく添えた肉料理、香ばしい本格石窯焼きピッツァ。さらには常陸太田市産の銘柄「常陸秋そば」を贅沢に使った二八の手打ちそば、茨城県産ポークと地元のネギ農家から直接仕入れたほんのり甘いネギが踊る「常陸太田味噌ネギチャーシューメン」……。
極めつけはスイーツだ。フレッシュミルクジェラートの上に、目の前で栗ペーストを細く絞り出す「栗くり!モンブラン」に、サツマイモのペーストにごま塩とチップをあしらった「おいモンブラン」。道の駅の規模を遥かに超越した、魅力的な『売りの品数』が、空腹の旅人を激しく誘惑してくる。
打ち明ければ、その二八そばを、そして目の前で絞られる栗のモンブランを、心ゆくまで堪能したかった。
しかし、今の俺には時間がない。途中で強硬行程へと舵を切った以上、ここで悠長にグルメに興じる気の緩みは許されなかった。タイムリミットは刻一刻と迫っている。
「いつか、必ず食してみたいものだ」
喉の奥に鳴る鳴動を抑え込み、後ろ髪を引かれるような強い未練を振り切るようにして、俺はフロントで記念切符を受け取った。ミッション完了。俺はすぐさま愛車のコックピットへと戻り、次なるチェックポイント、海の呼び声が待つ「日立おさかなセンター」へと、再びギアシフトを叩き込んだ。

日立おさかなセンター・痛恨の海鮮
道の駅「ひたちおおた」をあとにした愛車は、次なるチェックポイント、海の気配が待つ道の駅「日立おさかなセンター」を目指して針路を東へと取る。
広大な田畑のなかに真っ直ぐに整備された、黒いアスファルトの道路をひたすら巡航する。
5分ほど走ると、車窓にはちらほらと住宅の影が目立ち始めてきた。視界を遮っていた緑の山々はいつしか完全に姿を消し、人工物の数が少しずつ、しかし確実に増えていく。10分後、頭上を走る常磐自動車道の高架をくぐり抜けると、景色の密度は加速度的に増し、周囲は完全に「住宅街」のそれへと変貌を遂げた。
俺はそのまま、国道293号線を東へ向かって愛車を滑らせる。
JR常磐線と交差するアンダーパスの暗闇を潜り抜けると、目の前に国道245号線が立ちはだかる。そこを左折し、わずか500メートルほど進んだその時、左側の視界に目的地が姿を現した。
「日立おさかなセンター」。その名の通り、建物の外壁は爽快な水色に彩られていた。

愛車をパーキングに滑り込ませ、俺は期待を胸に水色の建物の中へと足を踏み入れた。
――そして、次の瞬間、俺は猛烈な後悔の念に襲われることになる。
ここは、今、このタイミングで来るべき場所ではなかった。
もっと時間に圧倒的な余裕を持たせ、そして何より、腹を極限まで空かせて突入すべき聖地だったのだ。
館内には、俺の大好物である「海鮮」を扱う店が、それこそ網の目のように何店舗も軒を連ねていた。艶やかに光る寿司、鮮度抜群の海鮮丼、じっくりと味が染みた魚の煮つけ……。俺の五感を激しく狂わせる海の恵みが、食堂から活気ある海鮮市場に至るまで、これでもかと溢れかえっている。
こんなことなら、旅の始まりに訪れた道の駅「しもつま」で、あのもつ煮丼を「大盛」で頼むんじゃなかった。せめて、あの半分に抑えておくべきだったのだ。
激しい飢餓感と誘惑が目の前で踊るが、すべては後の祭り。完全なる俺のリサーチ不足だった。
胃袋から突き上げられる悲鳴と、身悶えするような悔しさを抑え込み、俺はただ義務を果たすように事務所で記念切符を購入した。これ以上の滞在は精神衛生上よろしくない。俺は這う失意のなかで愛車へと引き返した。
駐車場から車を出すとき、俺は道の駅「常陸大宮」でルートを強行軍へと変更した「あの時の自分」を、激しく呪わずにはいられなかった。
もしも計画通り、明日この場所を訪れていれば、俺は確実にあの極上の海鮮たちを五感で蹂躙できていたはずなのだ。
「この道の駅・日立おさかなセンターは、いつか必ずリベンジする」

バックミラーに映る水色の壁に向かって、心の中でそう固く誓う。 ほろ苦い敗北感と、激しい後悔の余韻をコックピットに充満させながら、俺はアクセルを踏み込み、次なる目的地「道の駅・さとみ」へと愛車の針路を向けた。
【 The Silent Journey:旅の軌跡 】

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