茨城編・優しき里山に抱かれて

カオナシの出迎えと静寂の平穏

身悶える思いから、驚きと感心へ

身悶えするような思いを抱えながら、俺は「道の駅 日立おさかなセンター」を後にした。

愛車の進路を、次の目的地である「道の駅 さとみ」へと向ける。だが、ハンドルを握る俺の胸中には、まだ苦い悔恨が渦巻いていた。

なぜ、これほどまでに強硬な行程へと予定を変更してしまったのか」
一瞬でも「今の自分は冴えている」などと過信した己の浅はかさを、心の底から呪ってやりたかった。胃袋を支配する圧倒的な満腹感と、予定の狂い。そんな割り切れない思考を乗せ、愛車は潮風の香るなだらかな沿岸部から、緑豊かな起伏の続く内陸へと静かに分け入っていく。

目的地までは、約1時間の道のりだ。

紀伊の厳しさと、茨城の温もり。山々が魅せる表情の違い。

沿岸を離れるにつれ、景色は打って変わって360度の鮮烈な緑へと変貌を遂げる。国道349号を、ひたすら北へ。

車窓を流れる緑を眺めているうちに、俺の荒んでいた心に、ある静かな気づきが芽生え始めた。
かつて目にした、紀伊のあの厳しく、激しく切り立った山々。深い渓谷を穿ち、時折見かける大規模な河川工事の跡――自然の圧倒的な猛威と、それに抗う人間の爪痕を見せつけるようなあの険しさに比べ、この茨城の山々は、驚くほど「優しい」と感じるのだ。

どちらが優れているという話ではない。ただ、同じ「山」という存在でありながら、これほどまでに表情が違うものなのかと、改めて自然の妙に感じ入る。

ここ、茨城の山々には、確かな「人の気配」がある。どんなに深く北上を続けても、その感覚が変わることはなかった。厳かさに圧倒される紀伊の山とは違い、茨城の山には、どこか人の営みの温もりが、じんわりと溶け込んでいるのだ。

そんな思索に耽りながら愛車を走らせていると、不意に、目的の学び舎のような建物が視界に飛び込んできた。

国道349号を北上していくと、下り坂の左側にそれ、すなわち「道の駅 さとみ」は姿を現す。私は愛車を吸い込まれるように駐車場へとすべらせ、その中程に静かに滑らせた。

カオナシの出迎え、そして山間のオープンカフェ。

愛車のドアを閉め、歩みを進める。
母屋へと続く階段を上がったその時、思わず足を止めた。
そこに佇んでいたのは、あの『千と千尋の神隠し』でおなじみの「カオナシ」だった(苦笑)。
いきなり奇妙な異界の住人に出迎えられ、「この道の駅は、一体どんなコンセプトの罠を仕掛けているんだ?」と、一瞬にして興味をそそられる。

しかし、一歩館内へ足を踏み入れると、そこにあったのは非常にこじまりとした、静かな空間だった。

全体が木を基調とした温かみのある造りになっており、中に入ると不思議なほど心が落ち着いていくのを感じる。残念ながら、お目当ての記念切符の取扱いはなかったが、代わりに「道の駅ステッカー」をしっかりと購入し、この地へ自らの足跡を刻んだ証とした。

再び外へ出て、周囲の空気を深く吸い込む。
そこは、深い山間の緑の中に、ぽつんと隠れ家のように佇む道の駅だった。
建物の外には、その土地の高低差を巧みに利用して作られた、まるでオープンカフェのようなテラス席が広がっている。高台からそっと下を覗き込めば、清らかな水の流れがさらさらと音を立てていた。

一目で、この場所が気に入った。

ここ「さとみ」の売りは、インスタグラムなどでも頻繁に見かけるご当地グルメ「さとみバーガー」だという。

もちろん、男としてこの地の実録にその味を刻みたかった。しかし、この瞬間になっても、あの狂おしいほどの「もつ煮丼大盛り」の残響が私の胃袋を支配し続けていた。無理をして本質を逃すわけにはいかない。俺は静かに拳を握り、その味覚との邂逅を「次回への持ち越し」という名の戦略的撤退に委ねることにした。

高台から、静かに広がる山間の里山を眺める。
吹き抜ける心地よい風が、旅の焦燥と満腹の重みを少しずつ洗い流し、俺の心と身体を優しくリセットしていくのを感じた。

エネルギーは、再び充填された。
俺は愛車のエンジンに火を入れ、本日の最終目的地であり、癒やしが待つ場所――「道の駅 奥久慈だいご」を目指し、再びアクセルを踏み込んだ。

東北の気配、そして終着の湯

「道の駅 さとみ」を後にし、俺は本日の最終目的地である「道の駅 奥久慈だいご」へと愛車の進路を取った。

時計の針は16時30分を指している。目的地まではおよそ40分の道程。
再び、360度を鮮烈な緑に囲まれた世界へと愛車が滑り込んでいく。途中、名勝「袋田の滝」の入り口を通過した。この辺りまで来ると、福島県との県境は目と鼻の先。すぐそこはもう、東北地方だ。

「ようやく、本当に遠くまで来たんだな」
自宅を出発してから、すでに約8時間が経過していた。心地よい疲労感と共に、本物の旅情がふつふつと胸の奥から湧き上がってくる。愛車はなおも、緑豊かな深い山間を黙々と進んでいった。

17時10分。なだらかな下り坂を降りていくと、右前方に目指す「道の駅 奥久慈だいご」の姿が見えてきた。信号を右折し、駐車場へと滑り込ませる。

今夜は、ここで車中泊。ここが俺の、今日の戦いの終着駅だ。

復活の胃袋、そして至福の肉厚とんかつ

母屋の自動ドアをくぐると、右側には地元で採れた瑞々しい農産物や土産物が並び、左側にはこの道の駅が誇る食堂が構えている。そして正面右側には、2階へと続く階段。その先にあるものこそが、俺が今夜の城としてこの場所を選んだ最大の理由――温泉施設だ。

この道の駅自体の営業時間は18時までだが、温泉施設は20時まで扉を開けてくれている。車中泊の旅人にとって、これほど心強い味方はない

さすがにここまで走り込んでくると、日中あれほど俺を苦しめた胃袋にも、随分と心地よい余裕が生まれていた。
俺は迷わず左側の食堂へと足を踏み入れ、「とんかつ定食」を注文した。

空腹と目の前の美しさに、うっかり写真を撮り忘れてしまったことが、今となっては悔やまれる。だが、運ばれてきたその肉厚なとんかつは、驚くほど柔らかく、箸を進めるたびにジューシーな旨味が口いっぱいに広がった。完璧な復活劇だった。腹を満たし、至上の満足感に包まれながら、俺は一度愛車へと戻った。

1日の終わり。奥久慈の湯に身を委ねて

車内でお風呂セットを手際よく用意し、再び母屋へ。今度は、入り口正面右側の階段を1段ずつ踏み締めるように上がっていく。

階段を上がり切った正面に、静かに受付が佇んでいた。入浴料の500円を支払い、暖簾の向こう側へと進む。
そこには、ベンチと畳にテーブルが置かれた実におもむきのある休憩スペースが広がり、手前には大きなロッカーが整然と並んでいた。俺はそこに大きな荷物を預け、男湯の暖簾をくぐった。

脱衣所で身にまとっていた服を脱ぎ捨て、貴重品をロッカーに収める。手ぬぐい1枚を握り締め、洗い場の扉を静かに開いた。

一瞬にして、優しく暖かい湯の香りが全身を包み込む。その香りを吸い込んだだけで、張り詰めていた旅の緊張がすっと解けていくのが分かった。
入念に身体を洗い、白い泡をすべてお湯で綺麗に流し去る。そして、満を持して湯船へとゆっくりと身体を沈めた。

「……ふう」

今日1日、何百キロもの距離をただひたすらに運転し続けてきた。アクセルを踏み、ハンドルを握り締めていた身体のあちこちが、自覚している以上に硬くなっていた。
奥久慈だいごの湯は、そんな強張った大人の身体を、優しく時間をかけて解きほぐすかのように、じんわりと芯まで染み渡っていく。

しばしの間、俺は奥久慈の湯の温もりに深く浸かった。
もう、次のルートのことも、時間のことも、何一つ考える必要はない。ただ静かに目を閉じ、湯の暖かさに全てを預け、孤独な旅人は最高の夜を迎えた。

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