思いがけない景色

ノーガの午後、縁が重なった日

30年ぶりの再会

今日は30年来の知人に会いに行く。待ち合わせの相手は50代の女性。彼女と出会ったのは30年前、タレント養成所だった。当時の俺は表現者になりたくてその門を叩いた。そして彼女もまた、俺と同じように夢を追う一人だった。その後、別々の道へ進んだが、完全に縁が切れたわけではない。SNSを通じて、彼女が今も何かを創り続けていることだけは何となく知っていた。

そして約2か月前。Facebookで偶然、彼女のリール動画が流れてきた。似顔絵師として活動する彼女の姿は凛としていて、俺は思わず見入ってしまった。

夢を追い続けた先にある姿。その姿に心を動かされ、俺は久しぶりにメッセージを送った。俺もまた、誰にも言わず密かに続けていることがある。その話を書き添えると、彼女は興味を持ってくれた。それが今回の再会のきっかけだった。

午前11時30分。待ち合わせ場所に着くと、彼女はすでに来ていた。30年ぶりの再会。本来なら、お互いに年齢を重ねているはずだ。細かく見れば、もちろん若い頃とは違う。それでも不思議なことに、30年という時間の長さをあまり感じなかった。まるで昨日まで会っていたかのような感覚だった。

挨拶を交わし、予約していた店へ向かう。今日選んだのは、以前から一度訪れてみたいと思っていた上野の「ビストロノーガ」。

上野の街にありながら、その場所だけ少し違う空気が流れている。黒を基調としたシックな外観。その周囲を取り囲む程よい緑。多すぎず、少なすぎず。都会の喧騒の中にひっそりと現れるオアシスのようだった。

店内へ入ると、今度は木の温もりが迎えてくれる。茶色を基調とした落ち着いた空間。どこか肩の力が抜けるような居心地の良さがある。俺はその空間に身を置きながら、こんなことを思った。ここはただ料理を楽しむ場所ではない。料理を作る人も、サービスをする人も、それぞれが生み出した作品を五感で味わってほしい。そんな想いが、この場所全体から静かに伝わってくる気がした。

見方が変われば価値も変わる

席へ案内されると、女性スタッフが店のことや料理について丁寧に説明してくれた。「お決まりになりましたらお呼びください」柔らかな笑顔を残し、彼女は席を離れていく。私たちはメニューを開き、しばらく眺めたあと、コース料理を注文することにした。

注文を終え、再び二人だけになる。「雰囲気のいいレストランだね」彼女がそう言った。俺も同じことを感じていた。

そこで俺は、この店を選んだ理由を話した。一人では少し入りづらかったこと。男同士で来るには、どこかもったいない気がしていたこと。そして何より、以前から一度訪れてみたいと思っていたこと。彼女は笑いながら俺の話を聞いている。その表情を見ていると、不思議な感覚になる。30年という時間が過ぎたはずなのに、その笑顔は昔と何も変わっていなかった。まるで30年前の出来事が、すぐ隣で続いているようだった。

他愛もない話。近況の話。そして、それぞれが歩いてきた人生の話。会話はどんどん続いて行く。コース料理が中盤に差しかかった頃だっただろうか。彼女がふと尋ねた。「ところで、自分の過去を救う活動ってどんなことをしているの?」それは、彼女が最も興味を持っていた話だった。

それがいいと言われた日

俺は少し照れながらも、今自分が取り組んでいることを正直に話した。ホームページを運営していること。過去の経験を包み隠さず書いていること。苦しかったことも、失敗したことも、どう向き合ったのかも、そのまま残していること。俺はずっと、それらがニッチ過ぎるのではないかと思っていた。だが、彼女の反応は意外だった。

「それがいいんだよ」彼女は迷いなくそう言った。読者数を集めるためではなく、自分自身の経験を書いていること。実際にどう考え、どう行動したのかが具体的に伝わること。俺は少し驚いた。

だが同時に、なるほどとも思った。見ている景色が違えば、価値の見え方も変わるのかもしれない。そして今度は彼女が、自分の悩みを話してくれた。

奥行きの正体

似顔絵師として活動する中で、師匠から言われた言葉。「あなたの絵には奥行きがない」彼女はその意味が分からず悩んでいた。話を聞いていくうちに、俺はあることに気づいた。彼女は似顔絵を描く前に、必ず相手へリサーチをしているという。どんな雰囲気に仕上げたいか。どんな印象で描いてほしいか。それを聞いて、俺は思わず口にした。「それが原因かもしれないね」

リサーチは正確な絵を描くためには役立つ。だが、それは写生に近い。似顔絵の面白さは、その人から感じたものを描くことにあるのではないか。その人が歩いてきた人生。表情の奥にあるもの。言葉にならない空気。そういうものを想像して描いた時、初めて唯一無二の作品になるのではないか。俺の話を聞きながら、彼女は何かを思い出したような表情をしていた。

そして動物の絵の話になった。彼女は動物の絵を描くと、よく褒められるらしい。動物は言葉を話さない。だからリサーチもできない。自分の感性だけを頼りに描くしかない。その話をしているうちに、彼女の中で何かが繋がったようだった。「そうかもしれない」そう呟いた彼女の顔は、どこか晴れやかだった。

お互いが持ち帰ったもの

30年ぶりの再会。俺は彼女から、自分では気づかなかった価値を教えてもらった。そして彼女もまた、自分では気づかなかった視点を持ち帰ってくれたように思う。再会とは、ただ昔話をするためのものではない。時には、お互いの人生に新しい光を当ててくれることもある。この日の午後は、そんな時間だった。

縁は思わぬところから

ビストロノーガでの再会は、お互いに得るものの多い時間となった。それは30年ぶりに彼女と会えたことだけが理由ではない。上野という街の中にありながら、どこか別の時間が流れているようなビストロノーガという場所も、その時間を特別なものにしてくれたように思う。

落ち着いた空間。心地よい距離感。そして料理。目で楽しみ、香りを楽しみ、味を楽しむ。どの料理にも作り手の想いが込められているようで、自然と会話も弾んだ。だが、この日俺の心に最も残ったのは料理だけではない。スタッフの方々だった。

ビストロノーガのスタッフは、ジャケットにデニムという装いで接客をしている。カジュアルでありながら、ホテルレストランとしての品格も失わない。その絶妙なバランスが実に心地よかった。実は俺は10代の頃からジャケットにデニムというスタイルが好きで、今でも変わらない。だからだろうか。初めて訪れた店でありながら、どこか親近感を覚えた。

そして何人かのスタッフが俺たちのテーブルを担当してくれたのだが、その中でも一人の女性スタッフが特に印象に残った。

縁は一つではなかった

彼女の接客は、とても心地良かった。料理の説明も決して機械的ではない。料理そのものを楽しんでほしい、そんな想いが自然と伝わってくる。食器を下げる時の所作も丁寧だった。パンのお代わりをお願いした時も、嫌な顔ひとつ見せない。そして何より、その笑顔が素敵だった。気がつけば俺は決めていた。会計は、あの女性スタッフにお願いしよう。

食事も終わり、そろそろ店を出ようという頃、俺は彼女にそう話した。「あのスタッフさんに最後の会計をお願いしたいんだ」すると彼女も、「私もそう思ってた」と笑った。どうやら感じていたことは同じだったらしい。

だが、ちょうど忙しい時間帯だったのだろう。何度か声を掛けようとしたが、なかなかタイミングが合わない。そんな俺たちの様子に気づいたのか、別の女性スタッフがこちらへ来てくれた。「何かございましたか?」俺は恐縮しながら「スタッフさんをご指名してもよろしいですか?」すると彼女は笑顔で答えた。「はい、大丈夫ですよ」俺は先ほどの女性スタッフを指差しながら言った。「あの方に最後の会計をお願いしたいんです。とても良くしていただいたので。」すると、「かしこまりました。少々お待ちください。」そう言って、その女性スタッフへ声を掛けてくれた。

少しして彼女がやってきた。そして会計を済ませ、レシートを受け取ろうとした時だった。彼女は少し驚いたような表情で言った。「この仕事をしていて、こんな風にしていただいたのは初めてです。本当に嬉しいです。」その言葉は決して社交辞令には聞こえなかった。むしろ、こちらの方が嬉しくなった。すると彼女は続けて、「よろしければ名刺を受け取っていただけませんか?」と言った。もちろん喜んで受け取った。そして俺たちも名刺を渡し、その場で名刺交換となった。

俺の名刺を見た彼女は、「私、お客様のお勤め先によく行きます!」と笑顔で言った。俺は思わず、「じゃあ、見かけたら声を掛けてください」と返した。今思えば、それもまた一つの縁だったのかもしれない。店を後にする。

本来なら見送りは入口までだったと思う。だが彼女は店の外へ出て、道路の近くまで見送りに来てくれた。その姿を見ながら、俺は少しだけ心が温かくなった。帰り際、彼女はこう言った。「まもなくサマーメニューに変わります。またぜひお待ちしております。」その言葉を聞きながら、俺たちは自然と顔を見合わせた。「また来ようか。」「うん、また来よう。」そう言葉を交わしながら店を後にした。

俺は30年ぶりの再会に来たはずだった。だが、その午後に出会った縁は一つではなかった。人生は時々、思いもよらない場所で新しい景色を見せてくれる。そんなことを思いながら、俺はノーガを後にした。

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